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先輩たちの声
大学院で学び英語教師になるということ

重本 晶生【令和2年度入学】

令和2年度入学

私が教英の博士課程前期(以下大学院)を目指したきっかけは、学部4年生の夏の教員採用試験で不合格になったことです。当HPの「学生部からのメッセージ」を読んでいただければ分かるように、教英という場所は多くの学びと適度な遊びが享受できる環境です。そこに浸って、「僕はきっと素晴らしい教師になれる」というある種の全能感に侵された私のプライドは、不合格通知によってすっかり壊されました。「まだ学びが足りない」と気づけたことは今思えば幸運で、その年度の2月の院試で私は教英の大学院に入りました。

大学院で具体的にどういった講義や研究が行われているかについては他をあたっていただくとして、私は大学院での私自身を振り返り、英語教師として本当の意味での自信がついた過程をたどりたいと思います。

大学院では一本の修士論文を書き上げるのにほとんど2年間を費やしました。そしてその間、自分自身の力不足が原因で多くの困難が生じました。そもそも研究テーマを決定するのに約1年を要しました。地に足のついていない私の研究テーマについて一緒に悩み、研究としての体をなすように助言してくださったゼミの先生には感謝してもしきれません。その後もここには収まらない数の困難があり、研究から目を背けてしまうこともありましたが、ゼミの先生をはじめとした研究者の先輩方や仲間と交流できる機会が教英の大学院にはあふれていました。先行研究の紹介、研究手法の提案、研究目的に対する根本的な問いなどを頂きながら、私の修士論文は何とか完成していきました。

また、修士論文の執筆を経て、教師に求められる力を得ました。他者に自分の考え・気持ちを正確に伝えるための国語力、必要な情報を適切に集める能力、人に教えられるだけの英語力。さらに研究者としてはもちろんのこと人として尊敬できる方々と交流し、その膨大な量の知識に触れました。修士論文を書き上げ修了する頃には「この世界には知らないことしかない」と考えるようになり、かつての自分にはなかった探究心を得ることができました。これも教師に必要不可欠なものです。もし学部4年生のときに私が合格通知をもらっていたら、自己顕示欲ばかり溢れ出して中身のないモンスターが学校に放たれていたことでしょう。あくまで私個人の話ですが、教英の大学院での経験をもってして私はようやく、教師に最低限必要な素養を獲得したのではないかと思います。

現在英語教師を志しているが自分に自信が持てない方、あるいはかつての私のように自分が無敵であるかのように感じている方へ。思い切って教育現場に飛び込んでみて得るものもあると思いますが、教英の大学院で英語教育について今一度深く考えてみてはいかがでしょうか。現代の英語教育の是非や自身の純粋な疑問を探求し、その答えの一つを見つけられる環境が整っています。この探究を通して、英語教師に必要不可欠で、しかし他の場所ではできない経験をしてもらいたいと思います。(2022年3月執筆)